何もなかったはずなのに。
怜と付き合い始めて、2ヶ月になる。
怜は、昔から、出会った頃から明るくて、周りの人間を取り込むようだった。

   俺とは、似ても似つかない、反対の人間のように思えた。

そんな怜と付き合うことになった時は、正直、不安ばかりが量を増していた。表情が出ないのが幸いしてか、それは誰にも伝わらなかった。

 もちろん、怜も知らないはずで。晃くんや、万ちゃんも気付いていないはず。

2ヶ月。その間も、不安は水量を増した川のように、洪水を起こしかけた。その度に無我夢中でダムを造り、不安と言う名の水を塞き止めてきた。「そろそろ、限界かもな」何て、何度思ったか分からないくらいだ。その考えは、怜の笑顔の前では、小さく形を潜め、一人になれば我が物顔で、俺の心を荒らした。

「…けぇ…悩みでもあるの?」

痛そうに眉を顰めた怜が、俺を見上げている。涙でも流すのではないかと、心配になるくらいにその顔は痛そうに顰められている。

「別に…?」

怜の顔を見ていられない。出来るだけ、いつも通りに答える。怜は、痛そうに顰めていた顔を一度伏せた。
次に顔を上げた怜の顔には『怒り』の表情と『悲しみ』の表情が共存していた。

「ねぇ…どうしてぃつも、けぇは俺にゥソ吐くの?」

怜の顔には『怒り』は無かった。『悲しみ』が全面に押し出された、辛そうな表情。
ころころ変わる表情は、怜が話す言葉よりも、確実に俺の中に入り込んでくる。

          どうしろって言うんだよ…俺は何を言えばいい?
                 どうすれば怜は納得するんだ…俺にはわかんねぇよ…

俺の胸がズキズキと痛み出す。殴られた痛さよりも、辛い痛さに俺は顔を顰める。

「けぇ…?どぅしたの?」

怜が俺の腰に抱き着いてきた。自分の体温よりも高い怜の体温が、じわじわと伝わってくる。
人肌が温かいのは、怜が俺に教えた。いや、俺が勝手に怜から感じた。
その温かさが、せっかく築いたダムを破壊していく。「壊してはイケナイ」心のどこかから、俺が叫んでいる。

「…俺、けぇのぉ荷物?俺って重ぃ?」

温かみの中に、冷たさを感じた。
怜の目からはぽろぽろと透明な涙が流れ落ち、俺の服に染み込んでいく。
何も言えない俺は、ただ、首を横に振った。それにまた、怜が痛みに耐えるように眉を顰めた。

「けぇは…俺のこともぅ、飽きちゃった?」
「りょ…怜?」

怜言っていることが理解できなかった。俺自身、自分さえ分かっていないなかで、自分の中から流れ出ようとするものを塞き止めるだけで、手一杯の状態にある。そんな俺が、何を理解できるのだろう。

「けぇの曲…最近…暗くて、重ぃの…俺が原因なのかな…?
      俺…けぇと別れたほぅがぃぃのかな?ねぇ…けぇ…」

怜から紡ぎ出された悲痛な叫び。普段の怜からは、想像も出来ないほどに弱々しく、必死に涙を堪えようとするその姿は見ている俺の方が、苦しくなるほどだった。

   怜にこんな顔をさせたのは俺か?俺が、怜の荷物になってるんじゃねぇかよ…
       情けねぇ…怜の為には、別れるべきか…

俺の中で何かが壊れた。音も立てずに。
融けたそれが流れ出した。もう1人俺がいるようで、どこか映画やドラマを見ているような感覚だった。

「かもしれねぇな…」
「っ!! ふぇっ…くっ…け、ぇ… ごめっ…ぅ…」

俺の腰から体を離し、流れる涙を拭おうとせずに走って行った。
痛かった胸は、もう何も感じて無かった。冷静な俺は、マンションに向かっていた。
タクシーの中で俺は重大なことに気付く。俺と怜は、今、同棲してる。正確には、俺のマンションに怜が転がり込んできた。大きなピンク色のグルーミーを片手に抱いて、怜と比べ大きく見える鞄に必要に衣類を詰め込んで。
扉を開けてすぐ、グルーミーに口付けられ「奪っちゃたぁvv」と満面の笑みを浮かべた怜から、グルーミーを取り上げた記憶が俺の中で色鮮やかに思い出された。


ガチャリと鍵を刺し込んで回す。開いてるわけが無いのは分かっていたが、何か物足りない気分になった。
暗い部屋の中に足を進める。怜はここに帰ってくるのだろうか…。撮影に使った大きなグルーミーは怜の宝物らしいから、取りに来るだろう。もしくは、もう俺の顔なんて見たくないのかもしれない。

〜♪

携帯が鳴る。俺1人しかいない部屋の中にその音が、響き渡る。
携帯の表示は「万作」。

「もしもし…?」

いつもよりも俺の声が低く感じる。感じるだけでなく、実際にいつもよりも低いのだろう。

「圭、何かあったでしょ…?」

万ちゃんが怒っている。声が、刺々しい。

「別に…」
「…圭。怜が、泣きながらスタジオに帰ってきた。圭は何処にいるわけ?このビルにはいないんでしょ?…もしかして、家?まだ録り終わってないんだよ?!」

怒っているのは、解った。いつもなら、「ごめん」だとか「スミマセン」だとか言ってたはずの俺は、やはり冷静で、声を荒げず単調に言葉を口にする万ちゃんに、無言を返した。

「はぁ…今日は、怜が歌える状態じゃないし、圭もいないから止めになったけど…ほんと、どうしたの?」
「圭?俺、今家に1人だし、何があったか言ってくれない?心配なんだよ…やっぱり」

無言しか返せていない俺に、万ちゃんが優しく問い掛けてくる。

「俺、怜と別れた。」

たっぷり、時間を掛けて万ちゃんから声が返ってきた。

「えぇぇえ!?」
「うるさいよ」

携帯越しに驚いた声。ガンガンと頭にヒビク。
そんなに驚くこと、なのだろうか?俺と怜の問題だし。

「それで、怜が泣きながらスタジオ帰ってきたんだ…でも…どうして?」
「わかんねぇよ…」

俺の声は酷く頼りなく、小さなものだった。
何も分からない。分かりたくないのかもしれない。
必死に塞き止めていた『不安』が、漏れ始めた。何層もあるダムはひび割れ、砕け、水が溢れ出しくる。心の中のそれは、『涙』と言う形で俺の表面へ現れた。
ただ、ただ、静かに流れる。息が詰まるなんてなく、痛いなんてなく、流れ続ける。携帯越しの万ちゃんは気付けない位、静かに。

「圭は…自分の中に溜め込み過ぎだよ…怜もさ、そこまで弱くないしさ。圭が言いたいこと言っても、怜は平気だと思うよ?俺がこんなこと言うの、変かもしれないけどさ、怜の奴、結構悩んでたよ?「圭の考えてることわからない」って。「俺じゃ圭のこと解れないのかな」ってさ。怜はあいつなりに圭のこと考えてたんだよ…」

怜の泣き顔が、脳裏をよぎる。辛そうに眉を寄せ、透明で、綺麗な涙を流す怜が。
俺は、怜のことを考えてなかったのかもしれない。
勝手に俺が怜との境界線を引いていた?俺が、分かろうとしなかった?
俺が見ていた怜は、必死になって俺のことを考えていた怜だったのだろうか?眩しいと勝手に決め込んで、俺と違うと勝手に決め込んで。

「万ちゃん…ごめん…ありがと。俺、どうかしてた…」

暗い声。俺自身俺のかと、疑うほどに。

    俺は、怜を傷つけただけ?俺の勝手な思い込みで?

「圭…」
「まじ、ありがとう。ごめん、万ちゃん」

俺はいても立ってもいられなくなり、万ちゃんからの電話を切り、家から出た。
座っていた椅子の前に置いてあった、俺の掌に収まるくらいのグルーミーを持って。

「ぁ…けぇ、来てごめん…でも…」

ドアを開けるとそこには怜が、小さい体をより小さくさせて座っていた。
俺を見るなり泣きそうに顔を顰めて。
その、痛そうな顔に絶えられずに、怜を力いっぱい抱き締めた。

「けぇっ…!?…苦 し …っ、けほっ…」

強く抱き締め過ぎた為が、怜が咽る。少しだけ、力を緩めて、俺は怜の顔を見た。
泣かした為に目元が赤くなっている。頬には流れた涙の跡が見えた。

「ごめん…ごめんな…怜…」
「けぇ…??」

玄関先。怜を抱き締めたまま俺は動けなくなっていた。
どう、言い訳をしていいのかさえも、思い付かない。怜の顔を見れなくて、怜の肩に顔を埋めた。

「あ…グルーミー…けぇ…どうして、グルーミー持ってるの?」

「捨てようとした?」怜の言葉がそう言っているように感じた。怜のお気に入りで、わざわざショップにまで行き買って来たそれ。

「怜…探しに行こうとして…思わず持ってきちまった…」

俺の片手の中にあるグルーミーを怜に渡す。
それと同時に、怜に口付ける。

「…?」
「俺どうかしてた…怜のこと信じてなかった。勝手にバリケード張って、突き放してた。ごめん。俺、やっぱ怜が好きなんだよ…」
「弱気になってるけぇ、初めて見た…」

ちゅ…

怜が俺の頬にキスをした。
顔を見ると紅い顔をしていたが、くすくすと笑っている。

「嬉しぃ…けぇ、俺に何も言ってくれなぃから…不安だった」

怜の言葉を聞いて、俺の中で音を立てて何かが壊れた。
急に体が温まるような感覚に襲われた。
怜が「不安だった」と言ったその言葉が、俺の中ので俺の行動を強く突き動かした。

「ごめん…別れるなんかしちまって…好きだ…愛してる」
「俺も…けぇのこと愛してる…」

怜が微笑を浮かべる。
胸の当たりに温かさが増す。あれだけ、冷静に見ていた俺は今では姿はおろか、影さえも見えなくなっていた。心にあったダムも、溢れ返りそうな水も、姿は無く、穏やかに流れている。ズキズキと痛んでいた胸は、抱き締めた怜の体温で何事も無かったかのように、静かに収まっていた。



「けぇ…また、一緒に住んでぃぃ?」
「当たり前。今度は離してやんねぇからな…」

   今度は絶対に手放さない。俺は心の中で強く思った。



Fin




疲れた…BGMが暗いと暗くなりますね!!!
泣けるような作品ではない…ですね…泣かせるような小説を書きたいです。
感動を与えたい(何者や)
とりあえずは、俺の中の圭はこんなイメージがあった。
ときどき、ウチの圭が怜に冷たいのは、こんな葛藤があるからです。
あ、ハッピーエンドは俺の中で常識です。バッドエンドはほぼありえません。

そして!万ちゃん長セリフご苦労さまです(笑)

2004/9/4  .t